2010年7月7日水曜日

でろろーん

2010年6月5日土曜日

ベッドサイドドラマ

5月はどうも仕事をしていない気がするなあと思って手帳を見返してみたら、

まあ、していませんでした。16日しか出勤していませんでした。

5連休をとって友人と沖縄に行き、父の退職祝いに旅行に行き、それらだけであればまだ良かったのですが、馬鹿をして突発有給までとって、プラスの4連休、

いや非常に。何とも・・・

足を切開されちゃったのです。

痛いなあとは思っていたんですけど、ごまかしごまかし仕事をし、ある日残業を終えた頃には酷い痛みで歩行が難しくなっていました。寒気がひどく節々も痛い。

残業のおかげで予定がキャンセルになったのをこれ幸いと家路に着いたのですが、乗換駅のホームで倒れました。

激痛に貧血を起こしたんでしょうね。体温が一気に下がる感覚、それでいて異様に暑い身体、汗が湧き出る、呼吸が難しい、視界はざあっと砂嵐のように・・・ で。

我慢強さに定評のある私はその状態を耐えに耐えたのですが、まあほんとにやばかったんでしょう。

救急外来がどこも内科医しかおらず、39度近い熱を抱えてその日は眠りました。

朝一で病院、外科に行ったところ、あれよあれよという間に切開されてしまいました。

腫れのせいで熱は高いは歩けないはで(足はまるで象のよう)、図らずの4連休。

今は復活して足を保護して仕事をしています。労ってはいませんが快調に回復に向かっています。

はいどうも。お蔭様で

2010年5月15日土曜日

とるにたりないこと

最近ふつっと、昔の記憶にふれることがある。
例えばこの間。アップルミント(ハーブの一種)の風味が、前触れもなく鼻腔と口内に広がった。
家の庭で育てていたそれを噛んでみた幼かりし頃の記憶なのか、
家族で出掛けた何処かのハーブ園での記憶なのか、
判断はつかなかったけれど、風味ばかりが鮮烈で、それが仕事中ということもあり私は大いに戸惑った。
曖昧であるくせをして、その時間・空間にかえりたいという欲求は瞬間にして膨らみ根深く、抑えきれず指先まで駆けた。


それから今日は昔見た夢を思い出した。
これがなかなか怖く、書いてみたくなったということで今わざわざこんな話題にふれている。


昼間(日差しの入り方からするにじき夕方)、私は自分の部屋にいる。
現実と少しの差異も違和感もない、見慣れたいつもの光景だった。
そこに、やはりいつもと変わらない母がやってくる。母は何か言い、書棚(当時食器棚を書棚として使っていた。今は無い)で探し物を始めた。

その途端、 ここからが現実と違うのだが― 私は猛烈に緊張するのだ。
冷や汗がでて、心臓がドクドクと波打つ。早く去ってくれという思いで頭は真っ白になる。

母が探し物をしている書棚の下部には扉がついていた。
私はそこに隠しているのだ。

人の腕を沢山いれた壷を。

腕は一本一本懐紙のようなものに包まれており、持てばじっとりとした湿気と冷めた油を髣髴とさせる感触がある。
何より、夢から醒めて尚印象に鮮やかだったのは、気の騒ぐほど恐ろしくちょうどよい重みであった。
その重みのリアルさからくる背徳的な高揚感は夢というには乱暴すぎるくらい吸いつく質感を伴っていた。

薄気味悪いでしょう?どうやら夢の中の私は人の片腕を集める癖を持っているようなのだ。
そして冷静な昼間、こうゆう危ういシーンにぶつかる度に激しい自己嫌悪に襲われ「もうやめよう、こんな気味の悪い真似はもうよそう」と決意しているようなのだ。

さて、この夢の最後のシーン、ここで場面は少し先にととぶ。夜が訪れている。
私は、―昼間あんなに強く決意したはずなのに― どこから拾ってくるのか、また新しい片腕をもって書棚の扉を開けている。
ひそりと紙に包み、同じ白いものの既に沢山はいっている壷に新しいそれをゆっくりと入れる。

そこで夢は終わる。


とまあ、こんな。
思い出したのは通勤中の電車内で梨木果歩さんの「からくりからくさ」を読んでいるとき、唐突に。



多分、過去の記憶というものは、もう少し頻繁に日々脳裡を横切っているのだと思う。
何か思いもよらないリンクがそこにはあって、意識を向けてやれば、横切る記憶はゆっくりと速度を落としもう一度私の中で甦る。


ちなみにこの夢がいやに印象深かったのは、
現実離れした夢の多い私にしては背景と感情の動きが平々凡々としていることと、妙な質感が伴ったこと、
それから自分ではコントロールできないあの背徳感にどうも身に覚えがある気がしてならないことが影響していると今でも思う。

2010年4月24日土曜日

きみとママをパパは愛した

どこまでも美しく晴れ渡った休日。エルメス銀座店の10階で予約制の映画を観るという体験。

上映されたのは La Vita e Bella。ライフイズビューティフル。



ストーリーの途中、ではなく、終わった瞬間涙がこぼれた。まさに暗転のそのとき。
完全に明るくなる前に取り繕い、しれっとした顔で部屋をあとにしたけれど
お姉さんに綺麗な微笑みで見送られるときも、
8階のメゾン・エルメスで細川護熙展をながめているときも、
空色のニットの首周りと胸周りに残ってしまった涙のあとはなかなか乾かずずっとそこにあった。



なんて言葉にしたらいいのか良くわからなくて、晴天の銀座をぶらぶらと歩く。


いつになく、どこもかしこも活気に満ちている銀座。

結局言葉はかたちをなさなかった。

2010年3月31日水曜日

渦中のコーヒーとプリン

今日夕刻5時半頃、会社で火事が起きました!

リアルタイムで報道を見ていた友人と同期から「だいじょぶか」メールをいただいたけれど、お茶の間の皆さんのほうが状況をわかっている気がする。もう何がなにやら・・・
地上43階建て高層ビルの地下数階から13階までがうちのフロアなのですが、12階で出火したそうで。ちょうどその時ひとつ上の13階で休憩をとっていた私は、どうしてかエレベーターが故障している、ということのみを訝しんでおりました。皆よくわからないまま階段を使っていたかんじ。
そうしたらまあ、「12階で出火。階段で非難しろ」という旨の放送がはいるじゃないですか。
飲みかけのコーヒーを片手にキョロキョロしてるうちに、外には続々と消防車が集まってきて(ぱっと見た限りでも6台は・・・)、「待って、コーヒー飲み終わるまで待って」とか思っているうちに周りからは人が消えていました。
帰宅後のこと、ニュースの動画を見たら、はしご車まで出て俄かに騒然とした“それらしい画”がひろがっていた。

渦中におり、取り残された私と「斎藤さん」(偶然ですが前の職場の女の子)が遅れて階段をおりる様子。

の右手。
しょうがないよ。やっぱ出遅れちゃうよ。

2010年2月13日土曜日

ファッション界に空いた穴


本当に本当に本当に吃驚した。

マックイーンの死




今でも忘れられないショーが沢山あります、夢のような、悪夢のような。唯一無二のショーを創る人だと思っていた。
そして思い出すのはいつも最後にTシャツで顔を出す少年のようなマックイーン本人。

まだまだ彼のうみだすものが観たかった。頭の中と紡ぎ出す指を遺して去って欲しかったとさえ思う。

サンローランの死も、ラクロワの経営破綻も驚いたけど
本当に、今回のニュースは暗いショックをよびました。

報道を読んでいると、ああ事実、少年のように繊細な人だったのかもしれない、だからこそ避けられなかったのかもしれないと思いました。



アンファン・テリブルよ、美しく光る糸と布と愛するひとのかいなで眠って。

2010年2月11日木曜日

滴るシルエット

一度見失って悲しかったので、自分の為に貼っておく。