2008年11月28日金曜日

どん引き覚悟

下の投稿で卑猥なかんじをさらした研究室。せっかくなのでもう少しさらしてみようと思い立ちました。
どん引き覚悟。


さて、この研究室、こもっているとほっこりと胸に広がるひもじさを味わうことができます。


ご紹介しましましょう。
 「ある日の夕飯」

・インスタント味噌汁(夏休み中に購入したお徳用。朝ごはんにすることもありますがなかなか無くならなりません。「豆腐」にいまひとつやる気が足りない。)

・そこらへんにあった「あたりめ」(誰のかわからないのに勝手にマヨネーズまで開けるなんて図々しいまねはできないよ、と言いつつ、あたりめそのものを完食してしまう。
マヨネーズだけが残る)

・干しいちぢく


これらを食べ尽くした後、おなかへったよ~白米食べたいよ~とがさごそし始める。
冷凍庫の中に、以前オリジンで買った白米の残りが冷凍保存されていることを思い出す。
が、 レンジがない。
ので、 お湯にラップごと漬けてみる。
*この時点で「白米が食べたい」というボルテージが最高潮に達しているため、“これが”本当に食べたいのかという判断能力は失っています。

湯煎している間卒論作業に戻る。
意外にあっさり白米の存在を忘れる。
だいぶ経って気がついた時には湯がラップの内部にはいりこみ、おかゆがうまれている。
「あはは、おかゆ~」と言いつつ皿にあける。一部分がしみのように茶色くなっているのがわかる。
ぼんやりと、「これいつの米だっけ、」「一ヶ月以上前なのは確かだねえ」という会話を交わす。
割りに、躊躇せず口にする。


「あ、、うん。食べないほうがいい」とせっかく忠告したにも関わらず、なぜか友人まで食べる。



捨てる。
処理に困って完食した「あたりめ」のパックに“おかゆ”をつめる。
この頃には、冷静さと正常なテンションが戻りつつある。



作業に戻る。






文章にしてみると、『ほっこりとしたひもじさ』とか間違っても言えない気がしてきました。
い、いつもはもっと・・・・
   
もうちょっと・・・・・・マシ!!

2008年11月25日火曜日

目蓋のうえの氷糖







雨上がりの水の匂いに、黄色い日差し、つるんとした晴天、

自転車に乗ってすぐ、この感覚が何か、つながりました。

冬の日にバケツにはった氷のなかにいるみたいなんだなあ~気持ちいいな~~とスイスイチャリこぎ。




一昨日の夕方から夜にかけて、姉の結婚式がとりおこなわれました。
ごうごうと過ぎた不眠の日々がぱたりと終わりと告げ
わたしはなんだか突然日常に顔をだしたみたいな気分でいます。

すんなり、溶け込んでしまう。
その感覚が切ない。


学校のない(休んだともいう)木曜日からは完全に私は非日常のなかにあったのだなあと実感します。
ラストの怒涛の追い上げはたかだか2週間とちょっとでしたが、全体としてとても長く感じられます。
一番はじめの衣装合わせが今年はいってすぐぐらいのことなのだから、そう感じても当然か。

当日のことは昨夜ぼやぼやとした頭で書きました。気が向いたら投稿しようかなと思っています。




さあ、後回しにしていた卒論に本腰をいれなさいと自分のケツをたたかなくては。
教授に、お正月は無いわよ、と脅されていますが、この分では現実になりそうです。

2008年11月22日土曜日

残酷な天使のテーゼ

とりあえず今日は朝から打ち合わせなので、あ、寝なば、と思って動いたわけですが、そうしてはじめて自分がお風呂に入っていない、歯も磨いてないということに気付きました。

かなしい

汚ギャルになっちゃう。でもお風呂はいってたら寝る時間なくなっちゃう。


かなしい


明日やって終わる量なのか甚だ疑問ですが、今はとりあえず歯を磨いて寝ることだけ考えます。

2008年11月21日金曜日

マズイマズイマズイ

マズ……

ァッ !!

雄々しい。

しか〜〜

集中力が高まっているのか、すごく下がっているのか、はたまた平常どおりなのか

よくわからん時間です。

高まっているならまだやりたいけど、

寝るか~・・・

ふむむ~

2008年11月20日木曜日

中央の絵の具は5千円

画材には事欠かないのです。
ほとんど母のだけど。

しかし私着色が泣けるくらい下手なのである…!
絵の才能が無い

こない、おりて

冴えない、、、うーん感覚がのらないなあ、

2008年11月18日火曜日

雪呼び

先週は、時間ない余裕ない不甲斐ないままならないのないないづくしでグロッキーでしたが
脱したかな?と思うので、ブログにでてまいりました。
イライラ期間は楽しいイベントも、うまく書けない気がするので書くのははお休みです。


お勉強になるバイトをしたり、すてきなイベントに行ったり、千葉の姉宅で旦那さんとお泊り会議をしたり、式場打ち合わせをしたりしておりました。


今週の方がよっぽど切羽詰まっているのですけど、気持ちの問題でしょうか。



式の音源として、はたまた自分の気持ちを平らかにするために、もさもさ音楽を借りています。
私がいかに「冬」が好きかわかる並びかもしれない。。。
痛むほど寒い日には、
樹木が芯まで凍りつき、高い音をたてるかのような冷たい音楽を聴きます。
同じように
気持ちが死んでしまっているときは、救いようのない絶望的な曲を聴きます。
私にとっては結構大事な行為。


「Give Me Beauty...or Give Me Death!」ef
ギター、ベース、ドラム、チェロ、アコーディオン、メロディカ、オルガンの生む音の渦。雄大な大地の起伏。

「Enjoy Eternal Bliss」Yndi Halda
4曲にして65分の大作。ジャケットワークの世界が広がります。

「englaborn」Johann Johannson
物語をひとつ読んでいるような気持ちになります。美しい悲劇。
知らなかったのですが、偶然にも、この間書いたグレゴリーコルベールの展覧会、あそこで流れていたのがこれだとか。

「an accidental memory in the case of deth」eluvium
ベースもストリングスも一切使わない、ピアノのみで仕上げられたアルバム。
東欧の小さな家の扉を開いたらきっと聞こえる。

「COIEDA」masakatsu Takagi
跳ねる光。映像作家の高木さん、DVDとともに日差しのあたたかな冬の昼間に聴きたいです。


「wolf's rain O.S.T」菅野よう子
アニメのサントラです。本編見たことないけど・・・
菅野さんはネ申(伝わるのかこれは
「strangers」は何度聴いてもグラっとキます。薄青灰ににじむ赤、朝日と地平線、草原の少し小高いところ、涙を湛え真っ直ぐ前を見つめ誰かが走っている。私の頭のなかで

「Tokyo Luxury Lounge2」grand garelly
乾杯のときとか


「A touch of jazz」
深まっていく夜の宴に


上のほう、私の趣味で借りているほうは絶対に結婚式でなんか流せない・・・
(eluviumは一番はじめと一番最後に流そうかなと考えていますが。)
しかし時間がないなあ・・・明日学校さぼっちゃおうかなあ
一日24時間、一週間は7日。
揺るぎようもないけど、無茶してくれないかなあと夢想せざるを得ない状況に立っています。

ピンクの豚ちゃん、ありがとうございま~~す!

と、レジのおばちゃんはとてもいい笑顔で言った。

これは、思ったより、最初の一口が、難しい。

あ!!

一口目のためらいを超えればあとははやかったです。肉まん以外のなにものでもない

2008年11月17日月曜日

掘り起こして話す。

正直ひとさまの面倒をみてあげられるほど、今自分に余裕がないのですが

今日はキャリア支援科からお願いされた「3年生のための就職活動相談会」でお話させて頂いてきました。

ああ、去年の自分がとても遠い。あそこらへんに座ってメモをとっていたんだなあ・・・

世界同時恐慌のこの時代、大変だと思います。

面倒だとか思ってごめんね、皆がんばれ、と心底思った。

甘い言葉はかけられないけど。

お礼にと。支援科の方から頂きました。

・・・・・・・ あ。ウン、

ウン!大学名入り饅頭とかのが良かったかな!:)

さー、今日も意識が陥没するまではがんばろう。

2008年11月15日土曜日

う う

うう う〜…ん

2008年11月14日金曜日

う、 うう……

2008年11月11日火曜日

歩記

「万物資生」のバックナンバーを読んでいたら。
あ、これこれ。行きました。
「Make Up×Modeビューティーの時代 展」
2006年かあ・・・そんなに経つかあ・・・としみじみ
ダークチェリーラテを片手に


生は大変きれいだった。




波。怒涛。
服を見る、という感覚が沸かないままふらふらと退店。
そのあとバーニーズ・ニューヨークに行って、
服を見る楽しみを実感しました。

あくまで「見る」楽しみ。苦笑


お茶漬け屋さんで夕飯。琥珀色がきれいな梅くずきり。
しかし梅に関しては我が家の「梅」の右にでるものはないと思っています。
今度語ります。笑










2008年11月10日月曜日

風の結晶から、透明な千年が涌きいずる

銀座はSHISEIDOGALLERYにて、12月21日までやっています「津田直 SMOKE LINE風の河を辿って」。小さな展示場ですが、とてもすばらしい空間に仕上がっていました。

写真家津田直氏が3年の歳月をかけ旅し収めた、中国、モロッコ、モンゴルの風景たち。
「深い奥行きと透明な空気感、鋭さと強さ」

展示の仕方も、写真の意図を存分に表現していてすばらしかった。
そこは銀座の地下にある四角い一室だけれども、じーっと写真の流れを見つめていると
自分が無となり、ふっと一瞬「透明な帯」のなかにとけこむことができる気がします。
どこまでも、
国境はまるで存在せず、風に地に溶け込むように、渡る。









いただいたリーフレットの文章をその空間で読んでいたら、ふと涙腺がゆるむ感覚にとらわれました。

2005年3月、中国安〇省休寧県萬安の街で羅針盤を手に入れた僕は、蔵風じゅ水の教えから風には陰風と陽風の二種が存在することを知った。再び目覚めた朝、奇峰怪岩が散在する黄山へと向かい、かつては「海」であっその頂で一声を放った。千変万化する雲海の中、木霊は5度響き、再来の声は山嶺の合間を通り風声に消え入った。帰途、まもなく水没するという村々を訪れながら長江を下った。それから数日間、水を分け背に伸びゆく航跡を真夜中まで眺め過ごした。

次なる移動は「乾き」を求め、沙を片手にはじまった。たどり着いた先は北アフリカ、モロッコの山峡の地にある村、シケール。未だ電気は通っておらず、昼間でないと辿り付く事すら困難なところだ。家々は大地と同化するかのような色彩で山肌に溶け込んでいる。乾ききった喉の奥に水を求めるノマドの声が聞こえ始めたとき、ターバンを解き、流水を求め沙漠へ南下することにした。出会ったノマドの青年は、名も無きひとときの湖へと誘ってくれた。その晩、僕は沙漠の下を流れる河の存在をはじめて知ることとなった。

帰朝し、再びモロッコへ降り立ったのは2007年初秋の頃。ベンベル人の血を引く初老の詩人と待ち合わせた。彼は生きた地図のような人物で、僕はペンとカメラとわずかな荷物と食材を積んで古城塞跡の道を俯瞰しながら歩んだ。やはり沙漠に地図は無かったが、ノマドの脳裡に書き留められた術が道標となり行先を照らし続けた。

世界を透明に見通すには、目を瞑ることを恐れてはならない。
世界は透明な帯に保たれているのだ。
すなわち風の河。
その結び目に高峰や大河があり、目には映らない日さえある。
だから僕たちは、透明な帯の端を決して手放してはならない。


風に従い、旅の結びに訪れたのはモンゴル北部、ツァガーン・ノール。
青い馬を連れたシャーマンが来たる日を予言し出迎えてくれた。
白煙が空へと立ち昇り、口元のオルガンが鳴りはじめたとき
僕はこの航海の碇をそっと降ろし、煙の道を辿った。
風の河に導かれるように。


津田直


あまり多くを語るまい、と思います。
ただ在るということ、その偉大さ。


・・・・・・
多くを語るまい、と言いつつ少しだけ、
思い出したことを書きます。

今展をみて、
以前、森アーツセンターで開催されていた「グレゴリー・コルベール展」を観たときの感動を思い出しました。



違うのは、あちらは「飲まれる」ほどの強さをもっていたということ。(圧倒的で、心の臓から湧き出るような感動でした。)



津田氏の映す世界も、グレゴリー・コルベール氏の映す世界も、我々の日常と遠く離れすぎていて、容易には想像できませんが
地球上には人間と動物と地と風と水と・・・万物、果ては時間という枠組みすら薄い場所があるのだということを強く感じます。
そういう世界に自分が触れ合うことは、生涯一度として無いかもしれないけど、
ずっと続くこの先も、永遠に在り続けてほしいなあとぼんやり思うのです。
縁のない世界に触れられるのは、誰かの目を通した(今回のような)瞬間で、それも会場をでるまでの話。
だけども一人の夜にこうしてふと思い出し
“ずっと続くこの先も、永遠に在り続けてほしいなあとぼんやり思”ったりすることくらいはできるのです。

2008年11月9日日曜日

濃い眠り

今日は寒かった。加担するように雨まで降りました。

こうゆう、
とても寒い、見た目にも寒々しい日にはふと、うらびれた田舎を歩きたくなります。

どこかで焚かれている煙が白く視界をにごし、においが鼻をかすめる川原だとか
農家の軒先で育てられている数色の菊だとか
主のいない、土茶けた犬小屋とか

そうゆううらびれたものの全てが、白灰の雲をうつしたかのような鈍色の空気のなかでひそりとしている。
そんなことを想像しては、余計に物悲しい気分を舐める。

雪が降るわけでもなく、
目を奪うような紅葉があるわけでもなく、
ただ寒いだけの中途半端さに身を置きたい。



などと思いながら歩いたのは、
物悲しい田舎道ではなく、銀座の歩行者天国でした。

2008年11月8日土曜日

半径200mの







コムデギャルソンとのコラボでも話題の「H&M原宿店」、OPENしましたね
銀座店とは趣を異にしたポップな品揃えだとか。 

昨日はお友達のお宅にお泊りでしたが、ちょうどキャットストリートを渋谷から歩いていて、OPENの大看板を見つけました。

まだまだ先だと思っていた約半年前、
「光陰矢の如し」をふとしたときに感じます。H&Mをたとえにもってくるのはなんとも変だけれど。

ラフォーレのTOPSHOP、お向かいのGAP、ZARAに、ユニクロのUT STORE、そして今回H&M、
イギリス、アメリカ、スペイン、日本、スウェーデン。神宮交差点を中心に世界のSPA顔合せ対決とあいなりました。
さながらファストファッション激戦区です。
(まあ、今気づいたんですけどね・・・)
先日リニューアルしたtopshop。よくよく思えば、H&M進出を意識してのことだったのかなあ。気になるベルトがあったので行ってきましたが、見つからず・・・




最近、小物ばかり気にしています。
いやね、秋冬のお洋服をほとんど買ってないもので、変な話手をだしづらくなってしまった。秋冬服、特別今季!!好きすぎるんだもん。

かっこいいグローブ(短いレザー、ニットはロング)、ビジューたっぷりのインパクトネックレス・イヤリングはたまたバングル、フェザーのカチューシャ(使いやすさでは細いもの)
・・・・その他諸々。もやもやと夢想しては、絵にすることで満足していますが。ああ・・・物欲はとまらず!

Aurelie Mathigotのehibition、渋谷のTOMORROWLANDでやっていましたが、とってもすてきだった








2008年11月6日木曜日

ラスト・ワード、冬のまなざし







3連休最終日の月曜日、埼玉県立近代美術館にて企画開催中だったアーツ・アンド・クラフツ展に行って参りました。

これは、 とにかく、 ぜったい 行きたい!!と想いはじめてからはや2週間、やっとのことで最終日に駆け込んだわけです。

さあ来いこの日だけは死守してやるという気合が功を奏したようです。



ウィリアム・モリスからフランク・ロイド・ライトまで という副題がつけられていたこの企画展
プロダクトもそうですが
あふれるテキスタイルの数々に心躍る、躍る!
モリスはいわずもがな。ジョン・ヘンリー・ダール、チャールズ・フランシス・アンズリー・ヴォイシー・・・
流麗且つ繊細にして大胆、流れるような線に、はっとする構図
ひとつひとつを頭に叩き込まんという意気込みで、時間をかけて鑑賞してきました。
華美なデザインでありながら、あのまとまり!
過剰な線と点の嵐であるのに、余計な線も点も存在しないあの安定感!

おみそれしました



ロセッティの長椅子とかないかなあと思って行きましたが
ロセッティは無い代わりに、チャールズ・レニー・マッキントッシュの「ラダー・バック・チェア」を見れました。
おー、これがかの・・・
もっと無機質なかんじかと思いきや、古びた木のぬくもりがあり、何より予想以上に小ぶりで可愛らしかったです。



パンフレット(?)も素敵

ついでだからと常設展もざっくりと見学。
本格的な冬の到来を思わせる、寒い寒い日のことでした。
寒さに耐えて咲く我が家のバラ。




2008年11月5日水曜日

皮革染め

姉のいらなくなったバッグを染めてみました。 とってもしっかりした革

2008年11月4日火曜日

死は雨のようなものだ。万物の上に平等に降り注ぐ。

朝、庭のほうで引きつったような息交じりの叫び声を聞きました。
小人のような、(つまり不自然な高さの)その声は、小さな叫び声で「こわいよ~」と言っているようです。
洗面所にいる私のもとへ『こわいよ~』は走ってきました。


母でした。
母はそのまま五体倒地しキッチンの床にへばりついて「こわいよ~」と泣き始めました。あの声のまま。
私は戸惑い、その背や髪を撫でながらわけを聞きましたが、よほど怖かったのか壊れたおもちゃのように「こわいよ~」を繰り返すだけでした。
普段から飄々として気丈、無人島では家族のだれよりも長く生きるであろう母がです。


とにかくそういった状態の彼女を辛抱強く宥めているうちに、私は大体の予想がついてきました。



(鳥だ。)



鳥か、はたまた鳥か、、、、


それか鳥だ。


母は自他共に認める大の鳥嫌いです。
鳩や鶏はおろか、雀も水鳥も文鳥もだめ、鶏肉も一切口にしません。(おかげで私達姉妹は鶏肉の食わず嫌いです。唯一私は克服しましたが)


小人のような声を絞り出して、ようやっと出た答えは
果たして鳥でした。

物干し竿の下に雀が死んでいたそうなのです。

私とて普段なら死体の処理なぞ出来るタマではないのですが、背後を見れば母親が全身で床にへばりついているわけで・・・・
もう庭にはでられないと泣くわけで・・・・
火事場の何とやらでございます。


ゴミ捨て場から帰ってきたとき、母は場所を変え、玄関にへばりついていました。
私をお迎えしてくれたようで
お金あげる・・・、と言って二千円をくれました。
鳩なら五千円。カラスなら八千円、ワシもしくはタカだであったら二万くれるとつぶやきました。
私は、ワシもしくはタカであったら業者を呼ぶよ、と返しました。

腰から力を抜かし、その後もズルズルと青い顔で動いていた母が
幾分回復したらしいとわかったのは 「あなたの人生のなかで最もGreatな仕事だったわ」「あなたを産んで本当によかった」と無駄口をききはじめたからです。

その言葉を背に玄関のドアを閉めました。


結局授業には一時間遅刻しましたが、もし少しでも時間がずれて、私が出掛けた後に母が雀とご対面をはたしていたら・・・
彼女は一日を床に四肢をなげだして過ごしていたことでしょう。
そうして帰宅した父が、真っ暗な家のなかでその状態の妻を発見するのです。


よかった、ほんとうによかった・・・・




“私の人生のなかで最もGreatな”二千円は、一時間後の飲み会代に消えようとしています。