2010年5月15日土曜日

とるにたりないこと

最近ふつっと、昔の記憶にふれることがある。
例えばこの間。アップルミント(ハーブの一種)の風味が、前触れもなく鼻腔と口内に広がった。
家の庭で育てていたそれを噛んでみた幼かりし頃の記憶なのか、
家族で出掛けた何処かのハーブ園での記憶なのか、
判断はつかなかったけれど、風味ばかりが鮮烈で、それが仕事中ということもあり私は大いに戸惑った。
曖昧であるくせをして、その時間・空間にかえりたいという欲求は瞬間にして膨らみ根深く、抑えきれず指先まで駆けた。


それから今日は昔見た夢を思い出した。
これがなかなか怖く、書いてみたくなったということで今わざわざこんな話題にふれている。


昼間(日差しの入り方からするにじき夕方)、私は自分の部屋にいる。
現実と少しの差異も違和感もない、見慣れたいつもの光景だった。
そこに、やはりいつもと変わらない母がやってくる。母は何か言い、書棚(当時食器棚を書棚として使っていた。今は無い)で探し物を始めた。

その途端、 ここからが現実と違うのだが― 私は猛烈に緊張するのだ。
冷や汗がでて、心臓がドクドクと波打つ。早く去ってくれという思いで頭は真っ白になる。

母が探し物をしている書棚の下部には扉がついていた。
私はそこに隠しているのだ。

人の腕を沢山いれた壷を。

腕は一本一本懐紙のようなものに包まれており、持てばじっとりとした湿気と冷めた油を髣髴とさせる感触がある。
何より、夢から醒めて尚印象に鮮やかだったのは、気の騒ぐほど恐ろしくちょうどよい重みであった。
その重みのリアルさからくる背徳的な高揚感は夢というには乱暴すぎるくらい吸いつく質感を伴っていた。

薄気味悪いでしょう?どうやら夢の中の私は人の片腕を集める癖を持っているようなのだ。
そして冷静な昼間、こうゆう危ういシーンにぶつかる度に激しい自己嫌悪に襲われ「もうやめよう、こんな気味の悪い真似はもうよそう」と決意しているようなのだ。

さて、この夢の最後のシーン、ここで場面は少し先にととぶ。夜が訪れている。
私は、―昼間あんなに強く決意したはずなのに― どこから拾ってくるのか、また新しい片腕をもって書棚の扉を開けている。
ひそりと紙に包み、同じ白いものの既に沢山はいっている壷に新しいそれをゆっくりと入れる。

そこで夢は終わる。


とまあ、こんな。
思い出したのは通勤中の電車内で梨木果歩さんの「からくりからくさ」を読んでいるとき、唐突に。



多分、過去の記憶というものは、もう少し頻繁に日々脳裡を横切っているのだと思う。
何か思いもよらないリンクがそこにはあって、意識を向けてやれば、横切る記憶はゆっくりと速度を落としもう一度私の中で甦る。


ちなみにこの夢がいやに印象深かったのは、
現実離れした夢の多い私にしては背景と感情の動きが平々凡々としていることと、妙な質感が伴ったこと、
それから自分ではコントロールできないあの背徳感にどうも身に覚えがある気がしてならないことが影響していると今でも思う。