たとえば椅子を見たとき、平面が組み合わさってできた立体だということがわかります。
ところが、バウハウスの椅子を見ていると、限りなく立体だ、という気分にさせられます。
直線や曲線が立体を構成する。その立体が重なったり、ずれたりして、かたちをつくる。かたちのあるところに影が生じて、
直線や曲線が立体を構成する。その立体が重なったり、ずれたりして、かたちをつくる。かたちのあるところに影が生じて、
美がそこにある。
そんなこんなで
「バウハウス・デッサウ展」に行って来ました。
かじった程度とはいえ、授業でお勉強していたので感動もひとしお。
バウハウスの合理主義・機能主義・構成主義を肌で感じる企画展でした。
特に感じたのは「バランス」。色、素材、かたち、それぞれに最大適した「バランス」が存在し、組み合わさることによってデザインとなる。
著名作家の椅子や、建築などの展示はいわずもがな、
バウハウスの教育として、演習授業の作品が数多く展示されていましたので、
なぜ、優れたデザインがうまれるのか、そこの背景を感じ取ることができます。
カリキュラムといい、精神といい、講師陣といい、本当に素晴らしい学校だったんだなあ~~
バランス、と一重に言っても視覚的なバランスだけでなくて、機能としてのバランスがあります。
展示物のひとつに、アンバランスなオブジェ(?)が一本の糸にぶらさげられた演習作品があるのですが、
何ともいえない安定感を見る者に感じさせるんですよね。
他にも素材研究の演習作品などがありまして、
切り込みを入れる、折り曲げる、単純な行為が何よりデザイン的。
素材や色、ひとつのバランスを活かせてこそ、意味や用途のある「生活品」にデザイン性を付与できるんでしょう。
その点でも、バウハウスの教えは「生活品」であって、「芸術作品」ではないという印象があります。
(素人の戯言に過ぎないので、きちんと学ばれた方に読ませられるものではないのですけど・・・)
不安定な要素を内包し、実用性を伴わない美しさをもつのが後者、
機能性や実用性を第一に捉えたのが前者というイメージがあります。
どちらも「デザイン」であることにかわりはないのですが、「美」の置き方が違うのかもしれません。
作品の先に人間の生活が感じられるのが、バウハウスのつくる「生活品」の好きなところです。
バランスと構成、機能のうえにあるデザイン。それらがうむ日常、日常が置かれる空間、建築。
人を想ったバウハウスのデザインはとても「立体的」で「質感的」なのでした。
人を想ったバウハウスのデザインはとても「立体的」で「質感的」なのでした。
企画店は東京藝大美術館で7月21日まで開催されておりますので、
機会がありましたら是非!
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